新型コロナウイルスの落とし子 -「緑のオリーブ」№7 聖学院みどり幼稚園だより-

新型コロナウイルスの落とし子

新型コロナウイルスの影響により、まさに世の中全体が「自粛」を強いられる中、冬に向かって更なる感染拡大が危惧されています。そんな状況もあって、これからの働き方の主流は「テレワーク」だと世間は騒いでいます。ウイルスに感染しないために自宅で仕事をすることが推奨され、会議もZoom会議で画面を見ながらコンピュータやスマホの向こうの人間と話す。満員電車に乗らずに済むし家族とゆっくり食事ができる。子どもに勉強も教えられる。いいことずくめじゃないかと一気に加速しました。

そして、その延長で学校もリモート授業でいいという人が出てきました。わざわざ三密の学校で勉強をする必要はないじゃないかということでしょうが、学校は勉強だけの場所ではありません。私は否認知的スキルとよく申し上げていますが、幼稚園や学校での学びは知識や学力だけではなく人間としての基礎(人間力)を作り上げることだと考えています。しかし最近の世の中の動きは、それが未成熟のまま大人になってしまう人が増えることを助長するおそれを感じます。テレワークやネットワーク授業を全て否定するものではありませんが、本来5年、10年という年月をかけて様々な経験を積み上げながら導入すべきものが、コロナ禍を契機として一気に進められたことによる歪があちこちで出始めているようです。

感染を防ぐために人同士の接触をできるだけ減らすことを進めた結果、社員が孤立しコミュニケーションが捗らずウツ状態になってしまったとか、新入社員がすぐ退職してしまったなどの話を最近あちこちで聞くようになりました。大人でもそのような状態です。ましてや人格形成が十分に行われていない子ども達にとってはなおさらです。不登校や引き籠りを助長することになってしまうかも知れません。人間が一人で学び一人で考えられるようになるまでには、気の遠くなるような様々な過程を踏まねばなりませんし、そしてそれは人間同士が全人格的に向き合い、時にはぶつかり合いの中から得られるのです。

人間はコンピュータを駆使して自動化や効率化を実現してきました。最近そのスピードは益々加速しているようにさえ見えます。そうなれば、いずれ行き着く先は非効率のレッテルを貼られた人間が山積みになって捨てられてしまうことかも知れません。既に10年後、20年後にコンピュータやロボットに置き換えられ消えていく職業があちこちで取りざたされています。でも本当にそれで良いのでしょうか?どのような時代にあっても人間は困難な事態に向き合わなければならないはずです。全身全霊で人に向き合い、自ら学び、自ら考えられる人間こそが新しい時代を創造していけるのではないでしょうか。そして、その第一歩を提供する場が幼稚園であり、そこで出会う先生やお友達であることは、これから世の中がどのように変わっていくとしても不変のことであって欲しいと願います。

園長 山川秀人

【聖学院みどり幼稚園だより 「緑のオリーブ」№7 2020年11月10日発行より】